柳川のお節句物専門店「紙久本店」に七夕飾りの房の打ち合わせに出かけた。まだ5月の端午の節句も終わっていないが、業界的にはいつも季節は先取りで進んでいます。
帰りに先日テレビで放映していた柳川市三橋町の中山熊野神社で開催中の「中山大藤まつり」を見に立ち寄ってみた。あまりの人の多さにビックリ・・。

現地で配られているチラシを転記すれば、次の通りである。
言い伝えによれば、江戸時代享保の頃(1716年〜1735年 八代将軍吉宗の治世)中山の470番地に酒造業を営む 通称「萬さん」が、上方の野田(大阪市福島区)の藤を見物し、見事な藤の美しさに感動し、その実を持ち帰り自宅に植えたそうです。
数十年後、四尺程((約1メートル20センチ)の見事な花を咲かせるようになると、遠くから見物客が来るようになり、賑わっていました。しかし、藤見の酒盛りをしていた武士が、酔って刀を抜き乱暴を働いたため、萬さんは藤を熊野宮の社前に奉納したそうです。
以来、永年にわたり、中山地区住民・三橋町民をその花房の美しさとよい香りで、楽しませてきました。・・・・略
八女市の伝統工芸館付近にもトンネル藤と称してイベントが行われるが、残念ながら八女市を通過して黒木町の樹齢600年の素盞鳴神社の大藤をみにいく観光客のほうが多く、途中の国道は渋滞するほどである。何が違うか・・・・・「物語性」であり「歴史」であろう。藤の花はどこにでもいっぱいある。人々が見たいのは、ただ単に美しい花だけではないということであろう。
中山の大藤まつりに共催イベントとして「金銅板両界曼荼羅」のレプリカの公開があっていた。鎌倉時代1194年作られたもので「大日本国鎮西筑後国瀬高御庄内清楽寺建久5年6月13日 願主慶弁工師藤原延次」との刻印があるそうだ。現物はいつの頃か清楽寺のもとを離れ、茨城県利根町の徳満寺の所有物になっており、徳川家康が奉納したとの伝えがあるとのこと。1936年に国の重要無形文化財の指定を受け現在、東京国立博物館に収蔵されている。
「両界」とは、智をあらわす金剛界と理をあらわす胎蔵界をあらわすとのこと。
金剛界

胎蔵界

それにしても立派なものである。こうしたものが九州の片田舎でも信心篤く信仰の対象になっていたのが、驚きである。日本の文化の水準の高さを示すものであろう。
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posted by fusaya at 17:20|
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